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2025年度引退ブログ第16弾「この道を正解に」 神谷 修慈
思い描いていた高校サッカーとはかけ離れた3年間であった。神谷 修慈
「チームの中心選手になる」。進路に迷っていた頃、自分を1番必要としてくれていた豊島監督のもとでなら「上手くなれる」「全国に出られる」と思い、大成高校への入部を決めた。
初めて顔を合わせボールを蹴ったその時から僕の高校サッカーが始まった。
1年カテゴリーでは日野さんを主体とした厳しい練習や、哲さんの理不尽にさえ感じる筋トレ、しかし、それが精神と肉体の両面を磨くことにつながった。少しでも手を抜けば、喝が飛ぶその瞬間に全体の目の色が変わる。練習の強度は高く熾烈なポジション争い、それが当たり前の基準へと変わっていった。遠征やunityリーグでも正直負ける気がしない。「このまま行けば全国大会も夢ではないのかもしれない」いつしかそれが、遠い夢から目標へと変わっていた。
ボランチとして多くの試合で使ってもらい個人としてはunityリーグアシスト王を取った。選手権メンバーにも選ばれ都立片倉戦では、初めて選手権にも出場し、新チームでもAカテゴリーに選ばれた。しかし、ここからの2年間がある意味本当の高校サッカーを味わったのかもしれない。
1年の12月下旬、補習で大阪遠征に行けずすぐにBに落ち、もちろん裏選手権にも行けなかった。学業でサッカーの足を引っ張ってしまった悔しさとどうにもならないもどかしさでいっぱいだった。
Bの1番下からのスタートとなった。少しでも早くAに上がりたい、そんな思いで日々の練習に励んでいた。とある練習の日、紅白戦でマグネットはフォワードの位置にあった。結果的に3点取り自分の可能性が大きく広がった。
2月上旬Cに落ちた、学校生活においても先入観や誤解が重大な局面を生む不条理さを実感した。正直、自分自身に納得が行かなかった。しかしこうなってしまったからには、受け入れるしかない。2週間程の全カテゴリーサポート毎朝7時から19時まで、サッカーが出来ない悔しさで食事も進むわけがない「自分は何をやっているんだ」と泣いて帰る日もあった。生きた心地がしなかった。復帰したらサッカーで見せつければ良いだろうと自分に発破をかけなんとか復帰した。
本当の1番下からの再スタートとなる。榊原さんが推薦してくれなんとかBに上がれ、吉田さんの元でフォワードとしてポジション争いをすることとなった。Aカテは関東大会都予選で優勝し、本戦のメンバーになんとか食い込む事ができベンチにも入った。
青森ユースではスタメンとして出場した。しかし、試合後に「あいつに話しても無駄だ」「理解できないから言ってもダメだ」という声が届いてきた。僕は悟った。自分の事だと。正直、僕の心中は憤怒の怒りに満ちた。同時に、試合に出るのも怖くなる。どうすれば、今を覆せるのか。今こそが自分らしさを発揮するチャンスだ。そして、試合をこなすにつれ強度に慣れていき少しはチームに貢献できるようになっていった。結果として、先輩も自分を認めたかのように話しかけてくれるようになった。
後期のTリーグも順調にいき迎えた選手権、0対2となり自分の出番が回ってきた。結果としてPKで負けた。自分は涙を流しこう誓った「この悔しさを自分の代では中心選手として全国に導こう」。迎えた最後の年。
現状の自分に満足していた。大阪遠征を迎え試合を重ねるごとに自分がスタメンでは無くなっていく。自分の代であるのにスタメンではない現状、なかなか上手くいかないプレー、自分のプレーとはなんだろう、武器とはなんだろう、サッカーが楽しくない、次々とネガティブに考えるようになりもちろん、プレーも本当に終わりかけていた。大阪遠征中、Bに落ちた。その日の夜、達也と公園で語り合ったのは良い思い出だ。部屋に戻り、兄に腐りそうとラインをしてしまうぐらいメンタルがズタボロだった。そんな中でも兄は解決策を考えてくれ僕と本気で向き合ってくれた。遠征から帰ってきたその日の深夜3時まで、兄と自分に足りないことなどを徹底的に話し合った。気付けば2年でAに上がってから、現状の自分に満足していて全く自分に向き合っていなかった。
Bカテでなんとか結果を残し、最終的にはAにも上がりインターハイまではスタメンとして貢献できた。しかし、そこから怪我をし徐々に試合の出番が減っていった。夏の遠征では大阪や茨城、青森までろくにスタメン組に絡むことは無くなっていった。そして悔しさすら無くなっていく自分がいた。しかし、家族の存在が自分を気付かせてくれた。「このままではいけない」と、自分が試合に出ずサブ組だとしも、大事な夏季休暇を削ってまで僕の少ないプレーを見に来てくれたのだ。申し訳なかったし合わせる顔も無かった、だがとても嬉しかったしそれが原動力にもなった。
厳しい残暑も落ち着き選手権を迎えた。最後まで自分はスタメンで出られず高校サッカーが終了した。不完全燃焼に終わり涙すら出てこなかった。「ここで終わるのか」と。
思い描いていた国立のピッチに立つことも手にすらも届かなかった不甲斐なさが、心を覆った。
後輩に伝えたいことは、主力、控え、負傷中、今の時点でどの立場にいたとしてもやることは変わらない。
自分の中の目標、なりたい姿を明確に持ちそれに向かって行動していけば必ず成長できるし今の立場も理解することができる。誰しも上手くいっている時は満足して自分を見失う。僕がそうだった。だからこそ、今上手くいっていない人はそれに一喜一憂するのではなく、良いことがあると思って淡々とやり続ける。サブの悔しい気持ちはスタメンの人達は分からない。
だからこそ、それを原動力としてスタメンを奪い取って欲しい。スタメンは無理だと自身を否定するのではなく、仲間を蹴落とすぐらいの気持ちを持った控え選手が台頭してくればこのチームももっと強くなれるし全国も本気で目指せる。
自身の高校サッカーを振り返ると、自分で自分を追い込み自分の力でまた這い上がる学生生活であった。特に最後の年は精神的にも苦しかった。高校でこの経験をしたことがこれからの人生にもきっと糧になるとそう信じて目標に向かって歩んでいく。
たとえ上級生の試合であったとしても、自分は心の底から応援できた試合など1度もない。心の奥底で悔しさが静かに立ち上っていた。自分は決してメンタルが強いわけでも特別な才能があるわけでもない。ただ誰にも負けることのないぐらいの負けず嫌いが自分をここまで成長させてくれた。
試合に出ない時など、どんな時であっても1番の味方でいてくれた母。いつも相談に乗ってくれ客観的なアドバイスをくれる兄。自分自身に人生の深みを与えてくれた父。自分がもっと成長する上でこれからも必要不可欠だ。
3年間を総括してみて、この選択に後悔は無い。この環境だったからこそ今の自分がいる。自分自身が味わった3年間の汚辱を僕は決して忘れない。
この道を正解にし、夢の舞台へと上り詰めていく。