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2025年度引退ブログ第6弾「現実」伊藤 雅仁

私の高校3年間は決して満足のできるような物ではありませんでした。
先輩には身長が高かったり、キャプテンシーがあったり、ビルドアップやキックが上手かったり同学年には、名前のよく知れたクラブチームから来てるやつ、背が高いやつ、強いやつ、上手いやつ、速いやつ、レベルの高さを痛感して、この環境で自分はやっていけるのか不安と期待を持ちながらスタートしました。毎日の練習が中学の時とは違う強度で質の高いキーパーコーチもいてすごく疲れるけど毎日楽しかったのを覚えています。最初はUnityリーグやニューバランスカップなど試合に出場させてもらう機会が多く色々な経験を積むことができました。ですが、徐々に自分のミスや技術のなさが露呈し始めて試合に出れなくなっていきました。1年カテゴリーが解散され私はB2カテゴリーになりました。B2カテゴリーでは、頭を使ってサッカーをすることやビルドアップなどがメインの練習でした。自分は足元の技術もなく下手くそだったので毎回の練習で吉原さんや先輩に怒られたり全くついて行けていませんでした。下手くそすぎて試合に出れないことが多くあったのも覚えています。ですが、これまで教わったことのない知識や技術を学ぶことができ、毎日充実感がありとても楽しかったです。B2カテゴリーでは全員の意識が高く吉原さんも自主練に残って見てくれたり、ほとんどの選手が足りないところを自主練しているのを見て自分も自主練をするようになりました。このカテゴリーでは自分がやって来たこととは全く違うことや技術、価値観、練習への姿勢、ふるまい、本当に色々なことを学ぶことができ高校3年間の中で1番楽しい時期でした。月曜日の朝のキーパー練習が死ぬほどきつかったのは今でも鮮明に覚えています。 
 
2年生に上がって自分はBカテゴリーになりました。最初の方は先輩が試合に出場していて私は2番手でした。先輩がトップチームに上がると、もう一人の怪我明けの先輩がBカテゴリーに来て試合に出場していました。違うカテゴリーのキーパー練習にもほとんど毎日入って練習して自主練もしました。でもやっぱり私は2番手で試合には出場することができずに地区トップリーグは終わりました。先輩はそのまま選手権のメンバーに入っていきました。Bカテゴリーは3年生が抜けても地区トップリーグの順位決定戦がまだ残っていたのでそこでは試合に出れるように全力練習に取り組み3試合ある内の2試合にスタメンで出場することができました。1試合目では後半自分のミスから失点してしまい試合には勝てたものの、自分の信頼や評価を落としてしまいました。それでも2試合目に向けて練習をして2試合目も試合に出場することができました。前回と同じミスは絶対にしない余計なことは考えないと心に誓ったはずでしたが、また同じく自分のミスから失点をして完全に信頼や評価を失くしました。この時は本当に自分の不甲斐なさや、下手さに絶望しました。
3年生が引退して1番最初カテゴリー発表自分はCカテゴリーになりました。1番覚えているのは自分のミスで自分の評価を下げてしまいものすごく悔しかったことです。それでも上のカテゴリーに上がるために頑張ろうと思いました。ですが12月に試合中に頭から落ちて脳震盪になり、練習を休むことになってしまいました。早く練習をして上手くなりたい、上のカテゴリーでプレーしたいという気持ちから段々焦りが生まれ、復帰しても中々調子が上がりませんでした。3月になってようやくBカテゴリーにあげてもらいました。 
 
3年生になりシーズンが開幕して直後私はまたCカテゴリーに落とされてしまいました。正直自分の方が残っている選手より、上手い自信はあったし全く意味が分かりませんでした。この時は本当にサッカーを辞めようと思っていました。Cカテゴリーでは試合に出場して絶対に見返してやるという思いだけでプレーしました。夏前にまたBカテゴリー上がることができました。ちょうどこの時期に新しく秋元コーチがキーパーコーチに就任されました。いつのまにか評価されることだけを意識して楽しくないと思いながらサッカーをしていた私にとって、改めてキーパーの深い考え方や振る舞い方など教わりまた楽しくサッカーをすることができました。私はまたBカテゴリーで試合に出場することを目標に頑張りましたが、結果的には試合には出場することができず2番手で終わりました。このカテゴリーでは出れないなりに自分の役割を探すことにしました。自分は武器であるコーチングに目を向けました。プレーのことだけではなくきつい走りの時にどれだけ仲間を鼓舞できるかや毎回の練習での雰囲気作り、ベンチからの声掛けにも力を注ぎました。この最後の1年間は人間的に大きく成長できたと思います。
大成高校の選手として受け入れてくれた豊島監督を始め、1番気にかけてくれた日野さん、人間的に成長させてもらった吉田さん、自分のサッカーの価値観変えてくれた吉原さん、フィジカル指導をしてくれた甲斐さん、裏方で動いてくださっていて黒川さん、キーパーを熱心に教えてくれた、ピントさん、秋元さん、岡田さん、柴田さん本当にありがとうございました。 
 
りょうと、こび本当に3年間一緒にプレーできたこと誇りに思います。最初は全く吉原さんのGK朝練にも来なくてやる気が微塵も感じられないりょうと、まじでなに考えてるかわからないし練習中に寝てるこび、まじでこんな奴らと3年間やっていけないと思っていました。ピントさんのサーキットや吉原さんの朝練、日野さんや岡田さん、秋元さんの追い込みとか色んなきつい練習したけどやっぱり二人には絶対負けたくないて言う気持ちが大きくて、どんなきつい練習も乗り越えられたと思います。練習だけなら俺が一番うまいと思ってます。3人でやる自主練や練習キツすぎて吐いてたり、飛騨遠征だったり色んな思い出がたくさんあります。本当に楽しかったです。二人ともめっちゃ素晴らしいキーパーです。これからも頑張ってください。りょうと、こび本当3年間ありがとう。二人のおかげで3年間腐らずやり切ることができました。 
 
最後に3年間サッカーが上手く行ってる時期が少なくて不機嫌な態度をとることも多かったけど、なにも言わずに毎朝早く起きてお弁当や朝ごはんを欠かさず作ってくれて笑顔で行ってらっしゃいを言ってくれたは母。自分が試合に出れないと自分よりも悔しそうな顔をするし、仕事の休み取って練習試合や出場しない試合でも動画を撮りに来てくれてた父。本当に3年間支えてもらいありがとうございました。

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