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2025年度引退ブログ第1弾「感謝と感謝と後悔」 玉川 智軌

選手権で全国に出る!このことを目標に私はこの大成高校に入学してきましたが、結果的には後悔の多い高校サッカー人生でした。
大成高校での最初の練習、新しい仲間とサッカーができることのワクワクを胸にグラウンドに向かったのを今でも覚えています。自我が強く個性的な仲間が多かったため、うまくやっていけるか不安でしたが、最高の仲間たちでした。中学まではサイドバックでプレーしていたのですが、大成ではフォワードでプレーすることが多く、一年生の頃は戸惑いながらプレーしていました。自分は人よりも小さく下手だったので、チームのために誰よりも走ることだけを考えてプレーしていて、その点を評価していただいて多くの試合に出させてもらい、楽しかったです。飛騨遠征やニューバランスカップなど、数多くの大会に出て嬉しい思いも悔しい思いも経験できました。

1年カテゴリーが解散になり、自分はB2カテゴリーに配置されました。ここで出会った吉原さんは、自分のサッカー観を180度変えてくれ、サッカーの楽しさを自分に教えてくれた人です。一つ一つの練習で頭を使い、日々練習する中で自分がうまくなっていっている実感が湧き、毎日の練習がとても楽しかったです。自分がなかなか点を取れずに悩んでいたら、「俺がシュートを教えてやるよ」と夜遅くまで一緒に自主練をしてくれて、無愛想でしたが優しく、吉原さんに教わった二軸は一生忘れません。

ここから、これまでの自分のサッカー人生の中で間違いなく一番苦しく、辛い日々が始まりました。2年生の10月に足首を骨折してしまい、手術をしたため約5カ月の間サッカーから離れることになりました。新チームが始まり、自分だけがピッチに立てない焦りと苛立ちを抱えながらリハビリに励んでいました。みんなとは4カ月近く遅れて新チームの始動を始めた自分は、「1日でも早く上のカテゴリーに上がって試合に出てやる」と思いながら毎日プレーしていました。復帰してから一カ月後、徐々にコンディションも戻ってきた矢先に、次は膝を怪我してしまいました。病室に行ったところ、先生から「手術をしないと完璧には治らない。でも手術をしたら高校サッカーをプレーするのは諦めるしかない。もしまだ高校サッカーをやりたいなら、三カ月安静にして怪我のリスクを抱えたままサッカーをやるしかない」と言われ、絶望しました。この時、自分はもうサッカーをやるべきじゃない、やめたほうが楽になれるかもしれないと、サッカー人生で初めて「やめる」という決断が頭に浮かびました。しかし、監督や仲間に励まされ、三カ月安静にして復帰する道を選びました。復帰してからも前まで出来ていたことが出来なかったり自分の全力を出してプレーすることが出来ない日々が続きしんどかったですが、ここでやめるという決断をせずに続ける決断を取れて良かったです。
怪我でしんどい期間支えてくれた深見さん、柴田さん、岡田さん、ありがとうございました。そしてお父さんお母さん、高校サッカーの半分を怪我人として過ごし、2度の手術をさせてもらったのに、選手権のピッチに立つ姿、最後の最後までピッチで全力でプレーする姿さえも見せることができなかった自分が情けなく、申し訳ない気持ちでいっぱいです。そんな自分に何も言わず静かに見守ってくださり、本当にありがとうございました。大学では絶対元気でプレーしてる姿を見せます。
いろいろな人に支えられて、素晴らしい3年間を過ごすことができました。この経験を胸にこれからの人生も全力で走り続けます。

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