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2024年度引退ブログ第24弾「宝物 」竹島 蓮
私は千葉県のチームから来たので、ほとんど誰も知らない、知ってるチームもほとんどない、そんな不安の中、初練習を迎えました。
めっちゃ声を出す奴がいたり、ゴツい奴がいたりで、すごく恐かった印象があります。
練習は中学の時やった事ないようなメニューで、意識することも多くあり、思うようにも行かず、頭も体も毎練習疲れていました。でも、日が経つにつれ、練習に慣れてきて出来るようになり、練習がとても楽しくなっていきました。楽しさと同時にピリつき、緊張感もありました。
その理由としては、毎練習が週末にある試合や練習試合のメンバーに直結していたからです。Unityリーグ前日に毎回あるメンバー残り数枠をかけた、ダブルボックス。いつも以上にバチバチで、すごい緊張感でしたが、楽しさもありました。
最初の頃全然試合に出れなく、少しずつ試合に出れるようになっていたのですが、自分の中で出れるようになった要因があります。
それは、ある練習の後にやったイングランド式シュートです。めちゃめちゃ決められたのに、とても自信がついて、それ以降プレーが良くなっていきました。シュートを打ってくれたのは、伊佐地と歩夢とくらで実は結構感謝してました。本当にありがとう。
Unityリーグに5試合出場することができました。ですが、結果はあまり良くなく、残留ギリギリで自分もいっぱい失点やミスをしてチームに迷惑をかけました。
この1年は、日向寺コーチが指導してくれて、技術や知識の部分、サッカーの本質だったり、楽しさなど色々な事を教わりました。自分よりも圧倒的にサッカーが好きで、めちゃめちゃ熱いコーチだったので、自分もレベルアップしていけました。
1年カテゴリーが解散され、新チームになりました。
自分はBチームでした。
はやくAチームにあがってサッカーがしたいと思いながら、練習をしていました。
すると、
キーパー8人中自分以外の7人が怪我をしてしまい、新人戦出場のチャンスが回ってきました。不安や緊張でいっぱいでしたが、この機会を掴んでやろうと意気込んでいました。試合には勝ちましたが、1失点してしまい、課題の発見や1点の重みを知った試合になりました。
キーパーがほぼ復帰し、また競争が生まれ、自分はCチームに落ちてしまいました。
その直後、グロインペイン症候群という怪我をしてしまいました。少し経ち、キーパー復帰したけど、次の日にまた痛み。
またキーパーが出来ない日々に戻ってしまいました。その時Cチームのキーパーは自分1人で、吉田コーチ、チームメイトにはとても迷惑をかけたと思います。
夏に復帰し、再スタートできました。
そこから少しずつ調子を上げていき、B2に上がることができました。
B2は、1年カテゴリーの時のようなピリつきがあり、楽しかったです。
選手権が終わり、新チーム発表の日。
自分はAチームで名前を呼んでもらえました。
しかし、自分はサブでスタートが後輩だったということもあり、なんでだよという気持ちが強くありました。
大阪遠征では、自分がスタートで試合に出れましたが、裏選手権ではまたサブ。しかし、その裏選手権で調子を上げれて最終日はスタートで出ることが出来ました。
そこからフィジカル月を終え、最初の試合のカテゴリーマッチ、自分はスタートで出ることができました。プレーは全く良くなかったですが、もうスタートは渡さない気持ちでいました。しかし、次の日にその思いは絶えてしまいました。
11月から毎週月曜日にやっていたキーパー追い込みの日。
2月5日朝8時10分頃、ラストメニューの左右10本連続ダイブの2セット目の5本目。
ダイブが膝から落ち、痛みが走りました。そこまで痛くなかったので、6本目に向けて走り出した時、膝が曲がったまま動かなくなりました。その時はあまり痛みはなかったですが、時間が経つにつれ、痛みが増してきました。
全治5~6ヶ月の大きい怪我でした。
歩くのも痛い、階段を昇るのも降りるのも痛い、地獄の日々でした。
怪我をした時期は、自分的にとてもコンディションが良かったので、本当に勿体ない怪我だったと思います。
そして、増えてきた試合も全て、ベンチから声を出すことしか出来ませんでした。
稲荷と汐生にキネシオのテーピングをするようになり、少しはサポート出来ていたのかなと思います。
他にも次戦う相手の試合映像を撮りに、鷲宮に行ったり集合より早く来て映像を撮ったりしました。
サポートの時は、いつも違うことをしていたので、楽しさも結構ありました。
関東大会は、自分はスタンドにいて、とにかくピッチに立っている選手がカッコよくてたまらなかったです。優勝もして、本当にすごい経験ができました。その時も稲荷はキネシオをしていて、優勝して、全体が解散した後に言われた一言が忘れられないです。
「お前のおかげだよ」
本人は覚えてないかもしれないですが、そう言われた時は嬉しかったし、やってきて良かったと思えました。
そして復帰が決まったタイミングで、Cチームになってしまいました。すぐ上がれるだろうと思い、復帰しました。しかし、4ヶ月のブランクは重く、コンディションが中々戻りませんでした。戻っても試合勘が戻らず、苦悩の連続でした。
約2ヶ月間Cチームで過ごし、遂にBチームに上げて貰えました。本当に辛い2ヶ月間でしたが、周りのみんなのおかげで楽しくサッカーができました。
Bチームに上がってからはすぐスタートで使ってもらえ、地区トップリーグに3試合も出場させてもらうことができました。そして地区トップ優勝、T4昇格という最高の経験をすることができました。
そこから少し経って、
選手権メンバー発表の日が来ました。
自分の名前は、キーパー4人中1番最後に呼ばれました。
でも、まだ4番手で選手権初戦までの2~3週間もがき続け、ベンチに入ることが出来ました。
準々決勝、西が丘をかけた試合。
この試合もベンチに入ることができました。
1-2からラストワンプレーで追いつき、延長へ行きましたが点を決められず、PKになり負けてしまいました。夢であった全国への道は消えてしまいました。
選手権が終わり、心に大きい穴があるような喪失感は半端なかったです。
Tリーグは残り3節、昇格、優勝は目前で、自分は出れる2試合のうち1試合はベンチ外、もう1試合はスタートで出させてもらいました。
約10ヶ月越しの思いがやっと叶いました。
試合中色々ありましたが、楽しくプレーできて試合にも勝つことができました。
本当に楽しかった。
サッカー人生最後の試合をスタメンとして、いい形で終われて良かったです。
この3年間で沢山の思い出ができました。
朝の自主練、放課後の自主練、色んな人との筋トレ、スパイクを交換して色違いで履いていた日、練習が終わっても長時間ボールを蹴っていた日、ジュースをかけたリフパや鳥かご、罰ゲームをかけた壮絶なじゃんけん、ボールを蹴らず雑談をする日、他にもこの3年間で色んな思い出ができました。こんな日々がもうなくなってしまうと考えると、信じたくないし、悲しいですが、この思い出が出来たのは31人の仲間がいたからで、これ以上にない宝物を得ることが出来ました。この仲間には色んなところで支えられてきました。本当に感謝しています。
ありがとう。
最後に、
自分は色んなカテゴリーでサッカーをしていたので、監督や色んなコーチに指導して頂きました。サッカーのこと以外にも色んなことを学ぶことができました。本当に感謝しています。
ありがとうございました。
自分をAチームのスタートで出れるくらいの選手に育ててくれた、
ピントさん吉原さん岡田さん日野さん。
弱々しかった自分をどんな時も厳しく指導して頂き、めちゃめちゃ上手くなる事が出来たと思います。ありがとうございました。
そして、両親
まずは3年間どんな時もサポートありがとうございました。自分よりも1時間くらいはやく起きて、朝ご飯や弁当を作ってくれてありがとう。朝自主練に行く事が多く、大変な思いをさせてしまったと思います。でもそのおかげで沢山成長ができました。これからもサポートよろしくお願いします。
これから自分はJリーグのトレーナーになるため1度サッカーと離れます。なった後の夢が、みんなと選手とトレーナーの関係性でJの舞台で共演することです。今後、サッカーを離れる決断を後悔はするかもしれないけど、5年後この決断をして良かったと思えるようにしたいです。
本当に3年間ありがとうございました。