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2024年度引退ブログ第14弾「3年間の物語」 中山 俊喜

背番号19の中山俊喜です。僕は中学卒業前にして怪我が多く、サッカーで入学できる高校がほとんどない中、セレクションとは別日に練習に参加させてもらい、豊島監督が声をかけてくれたところから高校サッカーが始まりました。
入学することが決まってから3つ上の先輩、バーンズ・アントンくん(現J1 FC町田ゼルビア所属)のように高卒プロを夢見たり、幼い頃から見てきた「全国高校サッカー選手権」への出場を夢見て入学しました。
入学後は新しい仲間に出会い、良い指導者たちと巡り会うことができました。そして練習が始まってからは持ち前のパッションや気持ちで練習に食らいつき、練習試合などスタメンで出る機会もありました。しかし、パッションや気持ちだけで技術がなければ試合には出れません。それを痛感させられたのが1年生のみで行うUnity Leagueです。開幕前までは順調に進んでいましたが、開幕後は途中からの出場などはあったものの、スタメンから外れ公式戦後の練習試合に出る側になってしまいました。それ以降、自分のプレーに自信が持てず、ミスをするたびに落ちて、ボールを受けるのが怖いと感じるようにもなりました。自信を持ってプレーできるように、練習後に自主練をするなどしてなんとかコンディションも整ってきた頃に全国の強豪校が集まるNew Balance Cupに参加することになり、気持ちも昂っていました。そんな中、大会2日前の練習で接触し足首の怪我をしてしまい、大会はサポートにまわることになりました。すっーーーーーごく悔しかったです。しかし、怪我をしていても自分にできることとして、中学3年生の頃から行っているハイエックス(低酸素ジム)に行ける日に出来るだけ行き、リハビリを行なったり、チームのためにボトルの準備、試合動画の撮影なども行ってきました。 
 
いざ怪我が治り復帰して、こっから巻き返してやる!と意気込んでいた頃すぐに右の腰の怪我をしてしまいました。またサポート生活に逆戻りです。右の腰が治った後、またすぐ、今度は左の腰を怪我してしまいました。気づけば12月後半で1年が終わろうとしていました。今度こそ来年からやってやる、と言う思いで耐えてきました。しかし、今度は左腰が治りかけの時に、KのYさんに傷害事件を起こされ、足の小指を骨折してしまいました。笑(*KのYさんとはBカテで共にリーグ戦を戦い、一緒にトップに上がった仲間として今は仲良いです笑)今は笑って話せていますが正直、当時は気持ちがぐちゃぐちゃになりました。サッカーが出来ない辛さ、悲しさが込み上げてきました。なんで自分だけ?、いつになったらサッカーができるのか?そんなふうに思っていました。
小指が治った後は1年生だけでの活動が終わり、Cカテゴリーに振り分けられました。やっとの思いでサッカーをすることができましたが思うように体が動きません。そしてまた悪夢再来、腰の怪我が再発しました。笑何回やるんだよって感じですよね。でも最初に腰を怪我してから、接骨院の先生に体が硬いと言われていたので、ストレッチも欠かさず行ったし、食事にも気を使ってやれることは全部やってきたつもりです。年明けには厄払いで箱根神社にお祈りにも行きましたし笑、3度目の腰の怪我から復帰した後は再発しないように少しずつ体を動かしていきました。
そして2年の夏、Cカテゴリーで臨んだ福島県J-VILLAGEでの合宿。2日目に行った練習試合で評価してもらい、2日目の午後からB2での活動になりました。少しずつではありますが選手権出場に向けて一歩進めたことにすごく喜びを感じました。その後B2とB1は1つになり、練習を積んでいくなかで今度は接触で足首を怪我してしまいました。
当時は、もちろん辛いと感じることもありましたが、支えてくれてる人、応援してくれてる人、特に母(家族)に対して申し訳ないという感情が1番大きかったです。母子家庭で決して裕福ではないはずなのに、自分にお金を気にさせるようなことは1度もありませんでした。中学生の時、高校を選ぶ時もそうです。兄弟の人数の関係などで都立にしてと言われる子も多くいる中で、自分はそんこと言われたことありません。~がしたい。~が欲しい。と言っても自分が頑張れるためなら、夢のためならという思いで、断られたことはほぼありません。常に応援してくれています。しかし、その応援に応えるどころか怪我ばかりでそもそもサッカーが出来ていない。さらに怪我を治すために接骨院に通っているので治療費もかかる。してもらってばかりの自分に腹が立ったこともありました。迎えた冬の矢板合宿後にはCカテゴリーに落ちてしまいました。落ちてすぐは落ち込む瞬間もありましたがサッカーができることへのありがたみは十分にわかっているので周りは気にせず誰よりも真剣に練習に取り組みました。その真剣に取り組んできたことが身を救い、時之栖で行ったカテゴリーマッチで点を取るなどと活躍をすることができその場でBカテゴリーに上げてもらうことができました。 
 
トップまであと一歩そんな気持ちでした。3年になってからの夏頃にハイエックスで出会ったトレーナーから身体操作などの指導をしてもらいそれ以降、怪我はほぼなくなりBカテゴリーに上がってからのリーグ戦は全試合フル出場することができました。また最後、リーグ優勝でおわることができて良かったです。最終節が終わった後Bカテゴリーの3年は引退か選手権メンバーに加わるかの2択でした。結果的に自分はメンバーに加わることができ3年間を振り返ると嬉しくてたまりませんでした。
しかし一緒に戦ってきた仲間が引退となり泣いている姿を見て、メンバーに入ったから終わりじゃない、仲間の分も試合に出てチームを勝たせる。そう自分に言い聞かせました。結果を見れば出場時間はなく準々決勝での敗退。(引退)負けた瞬間に3年間が終わったのか、と言う感情になりました。結果を受け止めたくないだけなのかは分かりませんがしばらくは負けたことが信じられませんでした。今も時々思います。ただここで終わりじゃない、まだ自分にはメンバーに入れた分リーグ戦が残っていると切り替えることができました。
ちょっとでもトップで試合に出るんだと言う思いを胸に、残りの練習に取り組みました。自分に残された試合は2試合という中で修徳戦の残り20分ほどに出ることができたのと最終節は最初で最後のトップでのスタメンを勝ち取ることができました。
怪我が多く辛い日々が多い中で、もう無理かもと思ったこともありましたが続けてきて良かったと思えました。最後出ることができたのは、3年だけでメンバーを組めるようにしてくれた仲間や後輩のおかげです。リーグ戦で勝ちを積んできてくれたおかげでしかありません。ほんとに感謝してます。 
 
これにて中山俊喜の高校サッカーが幕を下ろしました。まず大成高校という素晴らしい高校に声をかけていただいたこと、最高の仲間と出会わせてくれた監督には本当に感謝しています。また、成長できるようにと指導してくれたりスケジュールを組んでくれたコーチやスタッフ、日頃から気にかけてくれ、応援してくれる先生方、どんなに遠くても、テスト前でも、応援に来てくれる友達、怪我を少しでも早く治そうと自分のことを1番に考えてくれる接骨院の先生、怪我予防のためや技術上達のために指導してくれるハイエックスのトレーナー、3年間、喜怒哀楽を分かち合い、共に切磋琢磨してきた仲間、その他様々な方々に支えられてここまで来ることができました。感謝しています。そして1番身近で応援してくれ、支えてくれた母(家族)、感謝してもしきれません。高校3年間悔しい思いもして不完全燃焼な部分もありますが、大学進学後は自立(自律)した生活を送り必ず人として、サッカー選手としてデカくなって帰ってきます。そして絶対にプロになって恩返しします。もう少し面倒や迷惑をかけることもあるかもしれませんがもう少しよろしくお願いします。
最後に後輩へ、来年こそ絶対に全国出場できるように頑張ってください。自分たちの代は関東も制覇してメンツも揃っていたかもしれませんが、絶対に運が悪くて負けたわけではありません。何かが足りなかったからあの結果になったと思います。3年になっていつかは選手権が来ます。そこで負けて悔しい思いをしたくなければ、今からでも選手権に出て勝つための行動をして欲しいです。朝練の時の1、2分を大切にするなど。また、これ言ったら~かなーとか、気まずくなるからとか周りを気にするようなことは選手権に向かっていく上で必要ないと思います。ぜひ、仲間を信じて、常に感謝の気持ちを持って高みを目指してください。そしてどんな立ち位置や状況に置かれても絶対に諦めないでください。僕のように最後の最後でチャンスをもらえることもあります。2年間または1年間、舐めた態度をとってくる奴もいましたが一緒にサッカーできて良かったです。笑ありがとう。
とても長くなってしまいすみません。ここまで読んでくれてありがとうございます。

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