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引退ブログ第三十九弾「努力してる気にならないこと」

"選手権に出ること"
これが私の幼い頃からの夢でした。大真面目に国立でプレーする事を夢見て、実現できる可能性のある大成を選びました。入学してからは、初のカテゴリー編成でDカテになりました。悔しかったですが、今思えばDカテの経験が役に立った瞬間がこのあと沢山ありました。それは、ある程度頭を使ってプレーしてるつもりでいたけど、本当の意味で考えてプレーできていなかったことに気づかされたからです。いちばん下のカテゴリーだけど、練習や試合で求められる物の基準がこれまでより高くて、特にビルドアップの部分でミスを沢山しました。しかし、時間を重ねていく中で、教わったことが自分の力になりこれまでとは違うプレーの選択肢を持つことができて改めてサッカーの楽しさを教えてもらいました。
 Cカテに上がると、トップの練習に参加できた日がありました。その時、一緒に入学した川邉と琉聖との差を痛感し、カテゴリーを上げ調子に乗っていた自分を律する転機となりました。それからは、より多く練習する為に自分のカテゴリー以外のGK練習に加えてもらったり、トップのセンパイと毎朝熱いキーパー練習をしたりするなど、トップを意識した生活をある程度できていたかなと思います。この1年間では目標を達成するためへの自主性を身につけられたと思います。
 自分の代になりトップに入ることができ、Dカテからやってきて少し報われた気がしました。しかし、最後の1年間を振り返ればあまりいい思い出はありません。私がトップチームの代表シャツを着て公式戦の舞台でプレーできた時間は、2試合で、分数にして50分でした。最後まで、部活を続けた同期4人のGKの中で最も少ない出場時間です。初めてのスタメンだった成立戦は、前日に琉聖が熱を出し、私に出番が回ってきました。首位相手に結果を残してやると強い気持ちで臨みましたが、結果は前半の30分で3失点でした。2、3失点目は、琉聖なら無かったと思います。まるで、サッカーの神様からおまえはキーパーに向いていないと言われたような感覚で、悔しいとかいう感情を通り越して人生で初めての感情でした。交代してベンチに下がると、涙が流れることもなく、座って仲間を眺めることしかできませんでした。自分の不甲斐なさを痛感しました。それからは、自信を持ってプレーでき無くなって結局、夢であった選手権の予選は1試合目以外ベンチ外で、Tリーグも2試合残っている状況で琉聖が怪我をしたけど、スタメンに選ばれることはなかったです。ベンチから見た蒼也のゴールマウスに立っている姿が、自分より何倍も様になっていました。彼がスーパーなプレーをしても心の中では素直に喜べない自分がいて、これならトップに上がらないで1年間地区トップリーグを闘っていた方がキーパーとして成長できたのではないかなど色々考えてしまい、後味が悪い高校サッカー人生となりました。
しかし、この3年間では大事な事を沢山学ばせてもらいました。特にサッカーのような結果が求められる世界では、自分が努力してると思いながらやっていることは努力とはいえず、それを評価するのは監督やスタッフなどの第三者であり、努力している気にならないことが大切だという事を学びました。
あと少しだけ。
下級生へは、1日1日を大切に過ごしてほしいということを伝えたいです。もしかしたら、引退や卒業に対して自分には遠い先のことでまだ時間はあると思っている人がいるかもしれません。しかし、このサッカー部はすぐに終わってしまいます。だから、毎日を大切にして欲しいです。努力してる気にならず、歯を食いしばって頑張れ。これまで、色んな選手が証明してくれたように、チャンスはあります。マイクや、前田晃翔、西嶋蒼良は私と一緒にDカテスタートです。自分を信じて、頑張って欲しいと思います。
 また、こういう場で個人名を出すのはいかがなものかと思いますが、坂本青輝、稲本兼伸、川村歩夢、坂晴志郎、伊藤雄淳。あなた達は、俺にプレーの選択をミスした時にはめっちゃ怒ってくれて、良いプレーは大きな声で賞賛してくれたり、沢山要求してくれました。あなた達と一緒にやるサッカーは毎日が新しいことの発見で本当に楽しかったです。ありがとうございました。もちろん他のみんなも俺と一緒に練習したり、先輩として慕ってくれてありがとうございます。
 最後に、私を指導してくださった監督、スタッフ、GKコーチ、顧問の先生方、治療をしてくださったトレーナー、バスを運転してくださった運転手さん、日頃よりサッカー部を応援してくださっているOB、OGの方々、お世話になった先輩方、そしてこれまで鎬を削ってきた仲間たち、皆さんとの出会いに感謝します。ありがとうございました。これからは、この3年間で学んだことを活かし、大成高校サッカー部出身と言う誇りを持ち立派な社会人になれるように精進していきます。
 そして、家族。3歳から18歳まで、何も考えずにサッカーだけに集中出来る環境を作ってくれてありがとうございました。決して裕福ではない家庭なのに私立である大成への進学を認めてくれたこと、送迎や、俺より早く起きてお弁当を作ってくれたり、格好いいキーグロやスパイクを買ってくれたり、ひどいプレーをした時には泣くくらいまで怒ってくれたりなど、サッカー選手としての俺に対し厳しく本気で向き合ってくれました。また、毎週毎週、我が孫が出場しない試合の時でも遠い会場まで応援に来てくれたり、結果が出ない時に激励のLINEや電話をくれた祖父。おかげで、苦しい時も続けてこれました。ありがとう。そんな家族に、私はプレーで何も返せませんでした。本当にすみません。もう私は18歳になって自分では子どもではないつもりでいます。なのでこれからは、社会で生きていく大人としてできることを一つずつ増やして家族を支えていけるように頑張るので、あと少しよろしくお願いします。
長い文章でしたがここまで読んでくださりありがとうございました。

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