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引退ブログ第二十弾「憧れと現実」

ジュニアユース時代の1つ上の先輩が進学した事で知った大成高校。彼は入学直後にトップチームに上がり、選手権では1年生ながらチームの中心選手としてスタメンで試合に出場していた。そしてチームも全国出場にはあと1歩届かなかったものの東京の決勝まで進んだ。その姿を自分はテレビの前で見ていて、「このチームは全国を目指せるな」と思ったのと同時にその先輩と一緒に全国に出たいという思いが強くなり、大成高校に進学することを決意した。
1年から活躍していた彼の後輩という事もあって大きな期待を背負って入学し、その期待に自分も応えようと「自分がこのチームを引っ張っていくんだ」という気持ちで大きな自信と希望を持って活動に臨んだ。実際に、基礎技術であったり元々自分の特徴であった声を出しチームを盛り上げるという部分では周りとの違いを生み出そうと努力した。それもあってか少し経って、コーチから1年のキャプテンに任命された。その時は率直に嬉しかったし、そのまま順調にいくと思っていたが、高校サッカーはそう甘いものでは無かった。度重なる怪我によってプレーが出来ない期間が多くなり、チームのサポートに回る日々。いつしか自分の思うようなプレーが出来ず、周りにも追い抜かれ、同じポジションのスタメンで出ていた選手が不動の存在になっていた。振り返れば、キャプテンであるにも関わらずリーグ戦で自分がスタメンで出た試合は1試合も無かった。
選手権が終わり、新たなチーム編成が行われた。1年の中で試合に出ていた選手がほとんど全員トップチームに昇格した中、1年のチームで出れていなかった自分は当然昇格することが出来ず、Bチームからの再出発となった。悔しい気持ちが大きかったが、トップチーム昇格を目指してまずは1年間リーグ戦に全試合出場することを目標にプレーしていた。それからはコンスタントに試合に出続け、思うようなプレーができるような身体に戻っていった。チームがリーグ昇格を目指し、無敗でリーグ昇格を目前に控えていた時期に自分には再び困難が訪れた。サッカーのプレー以前に生活に支障をきたす程の痛みが自分の腰を襲った。病院で腰椎分離症と診断され、またしてもチームサポートに回ることを余儀なくされた。その為チームが全勝でリーグ優勝・昇格を成し遂げた中、自分はラスト2試合はベンチ外で見ていることしか出来なかった。
そして自分が入学してから2年目の選手権が終わり、新年度に向けてまた新たにチーム編成がされた。Bチームにいた同学年の選手がほぼ全員トップに昇格した中で、怪我でプレーをしていなかった自分はまたしても昇格することが出来ず、大きな焦りがあった。そして3年になり高校サッカーのラストイヤーを迎えた。新チームになり少し経って、監督と後にチームキャプテンとなった川邉から「お前しかいない」と言われ部長に任命された。正直Aチームのキャプテン=部長で、部長というのはBチームの選手がなるものではないと自分では思ったし、それが普通だと思う。しかし、「コート外も含めて、選手としてだけではなく人として模範になり、チームを引っ張っていく事は自分にも出来るのではないか」と複雑な思いがありながらも部長を引き受けた。再びBチームで迎えた3年目、新たな困難に直面した。プレーし実力の無さを思い知らされることが多くなり、自分は「背が低いし、足も遅いし別格な技術があるわけでもない。」と自分に自信が無くなっていく日々が多かった。それでもコーチが試合に出し続けてくれたので、自分は全力でプレーするだけだった。そして選手権メンバー選考も兼ねているリーグ戦最終節が迫った。にも関わらず、自分に再び怪我が襲った。学校の体育の授業で鼻を骨折し手術をしたため2週間プレーが出来ず、今年もリーグ戦最終節に出ることが出来なかった。そして当然選手権メンバーにも入れなかった。怪我をしていなくても選ばれなかった可能性の方が大きいと自分でも自覚しているが、それでも大事な時に毎回怪我をしている自分が情けなかった。
こうして自分の高校サッカーは終わりを迎えた。
先輩と一緒にプレーして一緒に全国に行く夢を叶えることも、トップチームで活躍することも、選手権に出ることも出来なかった。何度も何度も困難に直面して、思い描いていた様なキラキラした高校サッカー生活を送ることは出来なかったけど、バカきつかった走りも朝練の日の4時半起きも今となっては良い思い出で凄く濃かった3年間であった。
最後に、こんなに頼りない自分を部長と認めてくれて、ついてきてくれた仲間達に感謝したい。

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