お問い合わせ

引退ブログ第十七弾「不完全燃焼」

高校三年間を振り返ると納得のいかない三年間でした。自分は一般入部で推薦のやつらより遅れをとっていたので早く追いついて試合に出ることを目標にやってました。一年の頃に素晴らしい指導者に出会い、サッカーの楽しさや奥深さを知りました。自分は今まで特に考えずにサッカーをやっていたので日々頭を使って練習するのがとても楽しかったです。二年ではトップチームに上がることができたのですが、一年間公式戦に1秒も出場することができませんでした。毎日試合に出るために努力しましたが、出ることはできませんでした。とにかく悔しかった一年間でした。三年になると徐々に試合に出れるようになってきました。しかし怪我が続き、インターハイはほとんど試合に出れませんでした。夏終わりくらいから試合に出れなくなっていき、とうとうカテゴリーも落ちてしまいました。悔しいとかのレベルではなかったです。中学三年の時、第一志望の高校は大成ではなく都立の高校でした。それでも、選手権に出たいからといい両親に無理を言って私立の大成に来ました。母は自分がメンバーに入るか分からない試合でも会場に観に来てくれたり、自分が寝坊した時は駅まで車で送ってくれて、自分が毎日朝練すると言ったら自分より早く起きて弁当を作ってくれました。父も幼い頃から練習に付き添ってくれたり、夜遅くまで仕事をして、スパイクが壊れたらすぐに買ってくれました。今までたくさん支えてもらってるのに選手権前にBカテゴリーに落ちてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。なんとかして選手権メンバーに入ろうとしましたが、メンバー発表するとき自分は呼ばれず、自分の選手権に出るいう夢は叶いませんでした。その時は自分の今までやってきたことを無意味に感じ、サッカーを辞めたくなりました。そんな時、吉原コーチに大学を紹介してもらい練習に参加しました。そこで練習に参加して一番の本質の「楽しむ」ということを思い出しました。それまでサッカーを辞めようとしていましたが、今まで色んな人に支えてもらったのにこんな不完全燃焼で終われないと思いました。帰って両親に行きたい大学を変えたことを伝えると躊躇せず、背中を押してくれました。自分にチャンスを与えてくれた両親と吉原コーチには感謝しかないです。両親には迷惑しかかけてないけど日々支えてくれる人の想いを背負っていつかサッカーで恩返しできるように頑張ります。

お問い合わせ

お問い合わせはこちらからお願い致します。